ある主婦のため息

アラフォー。夫、息子(4歳)との生活

我が家の英才教育?

この間、幼稚園で保護者向けの講演会があった内容について。

正直、聞くまで面倒くさいな~、とか堅苦しい話なのかなと(配られた資料などからも)思っていたら、案外よかったので・・・。

 

まあ、これが、学長さんが離されるとかで、いかにも堅苦しく感じてしまう先入観だったのだけど、面白くわかりやすく話されたし、聞きながらも頷いたり、笑ってしまったりと、充実した時間だった。

幼児の成長について、というのが内容。

つまり、この時期にすべきこと(獲得すべきこと)と別にしなくてもいいことという。

やっぱり知りたいわよね~。

発達心理学ということからのお話で、まあ、知っている人も多いだろうし、実は今更感があるところもあるけど、やっぱり勉強になったのは、私が理解不十分だったということと、聞いても忘れるということ、実際息子に対峙して色々思っているからであろう。

 

人間が成長していくには、この時期に獲得しておかなければならないことというのがあって、抜かしていくことはできないという。特に土台となる乳幼児期には大切な時期となるという。

 

先生がいわれるには、もう端的に、この幼児の時期には、「自分ってすごいじゃん。」という自己肯定感と「大人、人間は信頼できる。」他者も受け入れること、だけ獲得すればもうオッケーだとか。

ちょっと、安心した。息子は、ときどきその自己肯定が過ぎるのではないかと思うことがあり、うぬぼれの強い子になったらどうしようとか、逆にすぐに何かあるとへこむようになるのでは、と思ってしまうことがあったからだ。確かに、小学生にでもなれば、成績というものはつくし、自分でも、ああこれは苦手だなできないなとか、劣等感というものをもつこともあると思う。別に今からそんなこと指摘しなくてもいいのだと思った。今は幸せなときを過ごしてもらおうと。

後、自分が強すぎて、負けることが凄く嫌というのも。トランプ、かるたなどをして負けると、すぐ泣きわめく。あと、負けるの、できないのが嫌だから、したがらないとか・・・。これも自我が強い今だからこそなのかと・・・。

ただ、これは確信ができなくて、今思えば、質問時間のときに質問してみたらよかったかなと思っていることではあるが・・・。

いずれも、時期がくれば、変わってくるのかもと今は思うしかないのかしら・・・。

苦手を克服というのも、他のものを読んだりしてみれば、徐々にしていきたい時期らしくもあるらしいので、私も少しはトライさせてみたり、まあダメなこともあったり、徐々にやっていったりというのもあったり。無理のない範囲ということなのであろう。

そう、無理のない・・・、これが大切で、今の私には刻まないと・・・と思ったことであった。

親というものは、特に最近の親は、テレビなどの影響もあったりとか、英才教育、早期教育とか、実際成人前に活躍してる人もいたりで、何かさせないとと思う人が多いと思う。私も、そこまで徹底しないものの、何かさせたほうがと思って、習い事もさせている。緩い感じにと思っても、どこかに欲はあったり、遅れるのでは・・・という思いもある。文字も、就学前に書けるようになっているのが、当たり前な感じで。

確かに、上手に教えて、子供も嫌がらず、獲得できれば、問題はないのであろう。

下手に教えると逆にやばい、ということらしい。

先生は「難しいことを教えるから、(親が子供に)怒るようになるんです。」

怒る・・・、過ぎれば、子供に「自分って駄目なんだ。」という思いを抱かせてしまうことも。この幼児期に獲得すべき自己肯定ができなくなるのが、一番危険だとか。

「文字なんか、小学校で習えばいいんです。小学校の先生の仕事がなくなるじゃないですか(笑)。」と、親の肩の力を抜いてくれるような先生のお言葉だった。(国立付属の校長までされた方なので、いい加減でいわれたわけでもないと思うし、むしろホッとする言葉・・・。)

 

私なんかも、つい肩に力が入ったり、やっぱり自分の子供を教えるって感情的になるわ~、母がよく厳しくしていたのもわかるわ~、今のところ、チャレンジのなぞりんなんかをやってるけど、ここちゃんと、はねて、とか、もっとしっかり書いてとか、書けれたとしても、細かく言ったりとか。それは、いけないわ~と思った。文字も、どんどんしっかり覚える利発な子もいるだろうけど、そうでなかったら、無理強いしてもよくないなと思った。今は、なんか書けてる、と本人が満足できてればいいかなと思った。ラッキーにももっと書けるようになりたい、なんて殊勝なことをいえば、させようと、それくらいの気持ちでこれからはやっていこうと思った。

後、音楽教室も。そりゃ、毎日の練習が大切だけど、私自身がしっかりしてないし(東大に我が子を合格させたという母親の覚悟などないというか)、息子に無理強いさせない程度で、と思った。つまり、上手く教えられないから・・・。

体操教室も、そこまで運動が得意でない息子は、できていないことも多いけど、それでも、できたことがあるし、そこを一生懸命褒めてあげようと思った。一々、どや顔する息子に、「ハイハイ・・・。」って思っていたけど(だって、できるレベルのことだし、むしろできてないときでもどや顔してる・・・)、わ~、すごい、すごいって目を輝かせることにしたわ・・・。

少しでも、向上すれば、すごく誇らしいこと。それを息子に伝えることが今は大事だなあと。もちろん、日々やっている、通っているということでも、遊びたいさかりの息子には感心なことで、そこも伝えるべきだし。もし、嫌になってしょうがないなら、止めてもいいという気持ちも私の中でもちつつ。

 習い事を始めた今年、私にとっては、警告となった内容だった。この今の時期に必要なのは、自己肯定感ということで、それを壊すほどのようなことをしては危険ということ。

 

もう一つ、獲得ということについて、またもやお勉強にかかわることなのだけど。

してもあまり意味がないということ。

文字と同じように、数字というのも、何かしら教えてしまうわけで。

まあ、数を数えたり、個数を数えたりというのは、日常に生活してもあるから、自然な身に付けはいいのだと思うし、むしろ大いに良しというものなのかもしれない。

ただ、大人のようにあまりにも具体的、論理的にということは、幼児には難しいらしく。

たとえば、同じ数のものでも、狭くおいたものと広げておいたもの。幼児は、広げておいたものの方を多いと認識するらしい。大人なら(小学生以上なら)、数えて答えをだすはずなのだが、数を論理的にとらえるというのが、幼児にはわかりにくいらしい。

 

というのも乳幼児というのは、感覚で生きている、感覚で掴む時期らしく。

これも今回の講演で改めてなるほど、と思ったことで。

数を教えるにしろ、しつこく、こっちは何個でしょ!と大人的に(!)教えてもダメなんだなあと・・・。

そういえば、ちらっと聞いたことがあって、数字を、これは何個でとか、いわゆる学校でならうようなことをやるより、幼児の時期は、感覚的なことをさせた方がいいとか。算数、数学的な感覚を、先に身につけていたほうが、と。感覚、空間認識力とか、推理力とか・・・。つまり、パズルとかいいらしく。

数がこう、とかいうより、数学的センスのある脳に訓練しておくということなのであろう。

つい、私も、「これが一個で、こっちが二個でしょ。で、これが一緒になると三個でしょ。」みたいなことをやってしまいたくなるのであるけど。それよりも、息子が好きなパズル、迷路、クアドリラ(ボーネルンドのおもちゃ。ビー玉を転がせるようにパーツを組み立てる)、ちゃれんじでは、スライダーゴー、を好きなだけやらせようと思った。まあ、こっちが必死になってさせるものより、息子が好きなものをやってもらったほうがやはり楽である。

 

それから、文字と同じく国語的なこと。

感覚でつかむ幼児期には、聞くこと、本の読み聞かせ、歌を教えること、も大事らしい。確かに、この時期は、日本語を文字で覚えてるのではなく、すべて聞いて覚えてるのだから・・・。

ひらがなは読めれるようになってる息子につい、何かしら文も読ませようとしたくなるのであるが、たしかに、言えば、文字を一文字ずつくぎりながらも読むけど、で、単語なら、「何々」って、ちゃんと言いなおしたり。それも強制するまではしないようにと。息子が自ら読んでるときは読ませて、ああ、教えないととこちらがしつこくしないように。それより、どんどん絵本を読んであげる、歌を一緒に歌う方が大事なのかなと。文字と言葉がきれいに一致するのは、小学生でいいかなと。

幼稚園でならってきた歌を家でもくちずさむ息子。やはり幼稚園で歌を習うというのは、理にかなってることなんだなあと思った。

後、このころ(年中)になると、しりとりも好きなようで。それも楽しもうと思った。

 

まあ、下手に私が色々やるとよくないんだなあと、息子のありのままを受け入れ、この時期は楽しもうと。少なくとも、小学生からは、色々、注文つけたくなるのだから・・・。宿題やった?とか。親も、優劣に揺れるころに入ってくるだろう。

今なんて、ただ可愛がればいいのだから、そんな幸せな時間を逃がすのなんて損かも。

 

ああ、それから、また大切な事。

幼児期のころは、成長の個人差が激しいらしい。私も周りの子とつい比べてしまうのよね~。ああ、息子はできてないとか・・・。でも、あまり差が無くなる時期というのがあるらしく、いつかは、気にならなくなるのかしら・・・。

あまり周りとくらべて、徒に落ち込まないようにしようと思った。

何か、期待してしまう時期、何かしないといけないのかしら、そんな風に思っていたこのころ、タイムリーな話だったわ。